水を掬すれば月手に在り──なのるなもない×YAMAAN『水月』

夢野久作『ドグラ・マグラ』の冒頭「胎児よ胎児よなぜ踊る/母親の心がわかって恐ろしいのか」のフレーズは有名だが、羊水に浸った胎児は一体どのような音楽/ビートで踊っていたのだろうか。『ドグラ・マグラ』に頻出する「チャカポコ」「ブウゥーン」といったオノマトペは、それぞれドラムマシンとサブベースの音のように思えなくもない……。4つ打ちのキックを心臓の音とし、ハウス・ミュージックを胎内回帰になぞらえて作られた坂本龍一の91年作『Heartbeat』は、坂本龍一が亡くなった後にもほぼ振り返られることのなかった隠れた作品ではあるものの、そのコンセプトは常に私の心に引っかかっている。鼓動のキックとリズム、水の流れ、命の源泉……。

トラックメイカーのYAMAANとラッパーのなのるなもないによる『水月』は、既に20年近い付き合いになる両者が──これまでにも、なのるなもないのソロ作にYAMAANは何曲も参加している──ついにアルバム単位で一つの世界観を築くべく、その手を取り合った一枚である。

2021年にリリースされた名作・CHIYORI×YAMAAN『Mystic High』で聴かれた、メンフィス・ラップ~トラップ~アンビエント~ディープハウス、そしてヒップホップの折衷というYAMAANの独自のトラック・スタイルは、更に研ぎ澄まされている。重量感あるキックとベース、きめ細やかなシンセパッドのアンビエンス、互いが干渉し合うことなく配置された音の壁……ミックスとマスタリングもYAMAAN自身が行なっている。

なのるなもないのラップは、時に歌うように、時に語るように、日本語としての響きを崩すことなくわかりやすい言葉で、精神や愛、時間といった深淵なテーマを諳んじる。その様子は、胎児の見る夢──宇宙、地球、生物の誕生から自分が生まれるまでのあらゆる歴史を夢見ていると言われている──の中のストーリーテラーとして、一人芝居の舞台を自由自在に跳び回っているかのようだ。

とりわけ、フィンガーズ・インク~ラリー・ハードの諸作を思わせるディープ・ハウス風のトラックの上で、性愛の哀しい悦びをスケッチする『優しくして』は、アルバム中盤に配されたひとつのピークポイントとなっている。TempleATSの盟友にして唯一の客演であるDJ SHUNによるスクラッチもまた素晴らしい。『水月』の世界観の中でスクラッチの音が聴こえると、スクラッチの快感とは即ち「時間をかき混ぜる」ことだと再認識させてくれる。

雨の降り始めの、柔らかな水滴の一粒一粒の感触が知覚できる時間から、あっという間に、滝行のように降りかかる水に打たれ、やがて濁流となり、流れ流され、気づけば水面にプカプカと浮かぶ自分に出会う……胎児は生まれ出る瞬間に、それまで胎内で見ていた夢を忘れてしまうという。なのるなもないとYAMAANが奏でる、この一連の音楽を聴き終えた後には、濃厚な夢から醒めたような瑞々しさが、しっかりと体に残っているだろう。

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*『水月』はアートワークとデザインも素晴らしく、尾道在住の画家・白水麻耶子による絵を起用し、CDケース自体が箱庭のように立体物となるユニークなパッケージとなっている(デザインはTakara Ohashi)。『ECDVD』のようにプラ軸だけで留められたディスクの存在がまたいい。ストリーミング、データでの販売もあるものの、CDでの購入をおすすめしたい。

**表題は、唐の詩人・宇良史による歌の「水を掬すれば月手に在り」という一節で、私の地元である香川県の栗林公園にはその名も掬月亭という茶房があり、この歌から名前を取っていると聞く。水面に浮かぶ月を掴もうとして、ただ水を掴む歌は文明や時代を問わず数多く残されているだろう。また日本の名所・庭園における「池」には、手の届くことがない月を、水の中に落として手に入れようという役割があったとも聞く(得月・掬月)。

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