4月某日
春日川沿いの桜を見に行った。葉桜になりかけていたけど綺麗だったし、ベンチが多く、サッカーしているおじさん達や川に向かってコントラバスを弾いている若者などがいて、非常に良かった。知らない場所や土地に行くと、まずベンチの数や、じいさんばあさん~若者など、人の「種類」の多さが気になる。基本的に多いほど良い。こういう場所が近所にあるのと無いのとでだいぶ心の持ちようが違うと思った。その後アパッチ夫婦宅で鍋。90年代の懐かしCMや、ガチンコラーメン道の映像を観て盛り上がる。

4月某日
NHK「Last Days 坂本龍一 最期の日々」観る。と言いつつ、かなりスキップしながら観た。意義深い番組だとは思うが、自分にとっては今のところ観なくてもいいように思う。坂本龍一にあんまり興味ない方が観れるだろうなと思った(自分の性格の場合、であり、これを観てる人が坂本龍一に興味ない人、ということではなく)ただ、細野晴臣が「(自分たちの年齢でも)YMOにしたって、音楽的にやれることはまだまだいくらもであるのに」というようなことを言っていたのが印象的だった。
ちなみにNHKでは先日、過去のライブ番組の再放送もしていたんだけど、そのライブというのが1987年のNEO GEOツアーのもので、もう一番ギンギンの頃というか、凄い肩パットと色のスーツを来て、拳を振り上げて「ロック」なパフォーマンスをしている時期のライブなので「坂本龍一ってどんな人?ピアニスト?」という若者の目にどう映ったのか気になる所。
4月某日
知人から「TikTokで流行りそうな曲を全力で作ろうと思う」と連絡が来、TikTokで流行ってる曲の話をしたが、互いにあまり知らなかった。
TikTokで流行った曲と言えば『全方向美少女』は、めちゃくちゃ良かった。インタビューで「TikTokで流行るために、歌詞も曲の長さもこういう風に工夫した」というような話をしていて、それもクールだった。そういう野生のアルチザン的な意識や実際の曲調などがどことなくピチカート・ファイヴっぽいよなーと思う。今、ピチカート・ファイヴがこの時代に活動していたら、全力でTikTokヒットを狙いに来るだろうなーとよく思う。ストリーミングの影響でイントロの長い曲やギターソロが敬遠され、曲の長さが短くなりつつあるという話が、嘆かわしいといった様子で語られる場面がこの数年増えているが、こと「ポップ(ス)」を作ることにこだわっている人にとっては、面白い時代なのかもなーと思うんですが、どうなんでしょうか。
ところで『全方向美少女』や『可愛くてごめん』『うっせぇわ』などの歌詞には「私のことは”他人の評価を気にしない人”と評価してください」というような欲望が共通している気がする。人目を気にしないと言いつつ、実際は気になってしょうがないというのは、時代の感覚であり、すなわち普遍的な感覚であるような気がする。